東京アニメアワードフェスティバル2021 1日目3/13(土)デイリー報告レポート

本日3月13日(土)、「東京アニメアワードフェスティバル 2021」では、アニメ功労部門顕彰記念 『風の谷のナウシカ』の上映後に、「アニメ功労部門 」の顕彰者である株式会社スタジオジブリ 代表取締役プロデューサーの鈴木敏夫氏をゲストにお迎えしオンライントークイベントが開催された。

また『あの日見た花の名前を僕達はまだ知 らない。』10周年記念特別上映では、長井龍雪監督とキャラクターデザイン・総作画監督の田中将賀によるトークショーも開催された。

 

アニメ功労部門顕彰記念 『風の谷のナウシカ』

ジブリ映画のプロデューサーとしてのイメージが強い鈴木敏夫さんですが、実は、日本初の本格的な商業アニメーション専門誌「アニメージュ」を1978年の創刊から中心となって支え、「宇宙戦艦ヤマト」や「機動戦士ガンダム」に象徴される日本で最初のアニメブームを盛り上げた立役者の一人。月刊「アニメージュ」の創刊について伺った。

鈴木氏: 「月刊「アニメージュ」の創刊については、本当にふって沸いた話なんです。もとは「アニメージュ」の初代編集長である尾形英夫さんが月刊のアニメ誌を作ろうとしているという話は知ってはいたのですが、ある日、「アニメージュを作って欲しい」と言われまして…。アニメ誌に詳しくないので不安だったけど、3時間かけてくどかれました。そもそも何故アニメ誌を作りたいのか?と尾形さんに聞いたら、「自分の息子がアニメファンで、息子のために作って欲しい」というわけ。根拠があまりに私的な理由で驚いた(笑)。でも逆に、こんな私的な願望で1つの雑誌が生まれるのが面白いと思ってほだされました。
月刊「アニメージュ」について≪作家主義≫と言われる点について―。

鈴木氏: 「作家主義を狙った訳ではなく、結果的にそうなっただけ。本を作るにあたり女子高校生にアニメ誌について話を聞いたところ、彼女たちはキャラクターのファンだと言っていたんです。人間ならその人にインタビューすればいいのですが、キャラクターは人が書いたものだからしゃべる事はできない。ならば、キャラクターを生みだした人間に話を聞くインタビューマガジンにすることで、深みが出ると思ったんです。

「アニメージュ」で様々な実験的な試みを行う中で、高畑勲と宮崎駿の両監督と出会って、『風の谷のナウシカ』を世に送り出し、そして編集者でありながらスタジオジブリ誕生への道筋を作ったわけですが、「アニメージュ」時代出会った人で印象に残っている人はいますか?

鈴木氏: 「印象に残る人は2人います。1人目は(日本アニメの金字塔「宇宙戦艦ヤマト」の生みの親である)西崎義展プロデューサーですね。彼はプロデューサーシステムで作品を作った最初の人です。色々な評価があるけれど、彼はピュアな部分を持った凄い人だと思いますよ。もう一人は、ガンダムの生みの親である富野由悠季さん。いまたくさんのアニメが映画化されていますが、まだアニメはTVシリーズがメインだった時代に富野さんは「ガンダムを映画化する」と言っていたんです。数年後には本当にガンダムを映画化していて驚きましたね。この二人のように、当時アニメーションを作る人に魅力的な人が多かったし、小説家が元気のない時で、アニメーションには元気のいい奴がいるぞ!と注目を集めるという流れが出来た気がします。

 

『あの日見た花の名前 を僕達はまだ知 らない。』10周年記念特別上映

『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』は、2011年4月からTVシリーズがスタートしていますが、10年がたってどうですか?

長井監督:「10年前のインタビューで、10年後にも覚えてもらっているような作品になれると嬉しいと答えていたのですが、10年後、本当にこうして上映していただき、多くの方に覚えていただけている事が本当に有難いですし、とても幸せですね」

田中氏:「久しぶりに作品を観なおしてみると、セリフのくだりなどは変わらない気がしますが、感情移入するポイントは変わりましたね。10年で年をとり、今は両親の目線でみており、「あの花」に出てくる母親に感情移入して「お母さん・・・」てなりました」

10年で変わった部分もあると思いますが、本作は10年経っても共感できる普遍性がありますよね。

長井監督:「10年前に本作を制作した時にも、もっと前の10年前から変わらないものを大切にして作っていました」

田中氏:「幼馴染と疎遠になる感じや、親子関係など時代を経ても変わらないから、時間が経っても共感していただけるのかと。しかし今はコロナ感染が拡大し、人と距離をとらないといけなくなりましたよね。これが当たり前になった時、友達の作り方がどう変わっていくのかー。自分たちには想像がつかないです」

10年経って、もう一度「あの花」を作るとしたら、何か変わると思いますか?

長井監督:「10年たって年はとりましたが、今作ってもテーマ的には変わらないと思います」

田中氏:「感情の変化など細かなアプローチは変化すると思いますが、テーマは変わりませんね」

「あの花」は個性的な6人が登場しますが、キャラクターを作る時、キャラクターとシナリオは同時に進めていたのですか? またキャラクターを生み出す中で意見が分かれることなどはありますか?

長井監督:「脚本打ち合わせの段階から、キャラクターデザインの田中さんも参加してもらって、同時進行で進めていました。キャラクターについては細かな趣味の違いはあっても、あまり変わらないですね」

田中氏:「そうですね、「あの花」はもめなかったですね(笑)。(監督より「他はもめてるみたいじゃん」と突っ込み)。例えば、「あの花」のキャラクターの鶴見知利子はロングヘア―とショートヘア―でイメージが分かれたんですが、最初はロングで、途中で髪を切ってショートにしたり。お互いのイメージを出し合っています」

「あの花」「ここさけ」「空青」秩父三部作ですが、秩父にこだわっている点?

長井監督:「最初から秩父三部作を狙った訳ではないんです。『あの花』が秩父を舞台にしていたので、「ここさけ」では別の場所にしようと思っていたのですが、ピンと来る場所がなくて。前にロケハンしていた秩父の写真を見ていて、やっぱり秩父にしようとなりました」

田中氏:「2作品が秩父で続いたこともあり、「空青」だけは最初から秩父を舞台にしようと決めていました。「あの花」は最初、一般化できる地方都市を考えていたので、秩父をあまり打ち出してはいなかったのですよ。「あの花」が放送された10年前、当時は僕たちもまだSNSの威力が分かっていなくて、キービジュアルが世に出てからすぐに秩父と解明されていていて、SNS凄いと驚きました」

「あの花」「ここさけ」「空青」は泣くポイントが多いですが、制作時に狙っているのですか?

長井監督:「シナリオにある情感を大切にしているだけで、泣かせようという演出は意識していませんよ。泣くポイントは人によって違いますしね。シナリオの良さを伝えるために演出しているだけですね。ただ「あの花」は、東日本大震災後にTV放送がスタートしたのですが、敢えて「フィクションで泣くのもいいよね。ファクションで泣こう!」と泣く点を意識していたようにも思います。「あの花」の1話が放送された後、引き篭もりの感情表現が良かったと反響があったと聞いて驚きました」

「あの花」はお二人にとってどんな作品ですか?

長井監督:「監督して初めて世の中の人に認知してもらえた作品で、自分にとって転換期になった作品です」

田中氏:「本作で監督や脚本家と同列でキャラクターデザインを扱っていただけたことで、その後の仕事の幅も拡がったし、多くのオリジナル作品に携わらせていただけることになるきっかけとなった作品ですね」

「あの花」を作った後で、後悔はありましたか?

長井監督:「いつも1作品、1作品消化しながら作っているので、やり切った感はありますが、後悔はないです」

田中氏:「僕は逆で、いつも自己嫌悪してしまうんです。いつもその時の最高のパフォーマンスをするのは大前提なんですが、終わった後、ああすれば良かったなど、後悔をしてしまいます。でもその後悔が次回作へ生かされいるので、後悔も悪くはないですね」

東京アニメアワードフェスティバル2021公式HP: https://animefestival.jp/ja/